自宅の室内の写真記録

リビング 2011.03.12 07:16

 被災後、室内としては最初に撮影した一枚です。
やはり普段の生活はこのリビングが中心でしたので、自然と、ここから室内の撮影をはじめた、という事でしょう。
 ひっくり返っているソファーは本来写真に写っているドアの左側の壁際にあったものですが、浮いて、いろいろなところに散らばっていました。
 ひっくり返ったソファーの底部分にはくっきりと濡れた線が写っています。大した高さではないのでいとも簡単に浮いたと容易に推察できます。
また、ひっくり返ったソファーの下にありソファーがのっかっているのはテレビボードで、中に入っていたデッキ、DVD全て海水につかり、ヘドロまみれでした。
それでも、DVDに関しては、後日弘前に持って行き、水洗いをして救われたものもありました。
 テレビボードの上に置かれていた50インチのプラズマTVは床のヘドロの下に埋もれていました。
写真では床の上に散乱しているものが何であるのか、わかりませんが、数々の思い出の品々がヘドロまみれで散乱していました。
これらの中で再び使うことができたものは何もありませんでした。

ダイニング方向 2011.03.12 07:17

 リビングからダイニング方向を撮影した写真です。
 手前に写っているのはサイドボードで、様々な宝物?が入っていました。
このサイドボードも浮いたようで、開いた扉の内側に、斜めに津波の汚れが残っているのが写真でもわかります。
様々な書類、手紙、住所録等紙類はヘドロで黒く濡れ、いろいろな小物、思い出のお宝は捨てざるを得ませんでした。
ただ、長年このサイドボードに入っていた、頂きものの高級洋酒は、後日弘前に持ってゆき、ボトルの汚れを落として、中身の方は味わうことができました。
 このサイドボードとダイニングテーブル・椅子に挟まれ、分かりにくいのですがテーブルが写っています。
このテーブルには当時としてはハイスペックのデスクトップ型で私のメインPCが置いてありました。
バックアップ用にディスクも増設していましたが、それらミラーリングしていたディスクも含め全てのデジタルデータを失ってしまいました。
一部分、職場のPCに保存しておいたデータもありましたが、長年撮りためた画像、生活のデータ等自宅のデータが全て無くなり悲しい限りです。
唯一の救いはサイズが小さいながら作成てあったホームページ上に写真データが残っていたことです。
本当、無料ホームページスペースを利用してHPを作成しておいて良かったと思います。
 奥に見えるテーブルはダイニングテーブルです。
バランス良く津波に浮いたようで、上に置いてあったものは殆ど被害を免れました。
その免れた物の一つに、普段妻が愛用しているコンデジ、ルミックスがありました。
このルミックスにより被災直後の写真を撮影することが出来ました。
 写真左側はキッチンですが、全て被害を受けることとなりました。

リビングから和室方向 2011.03.12 10:25

 リビングから和室方向を撮影した写真です。
 左側は玄関で、写真には下駄箱の一部が写っています。
写真には写っていませんが、私の足下には和室から流れてきたTV、アクオスがヘドロに埋もれてありました。
 津波は建物内では、写真奥、和室側から手前方向に流れてきたようで、写真に写っている和室内の引き出し、ポット置き等全て、写真奥の部屋にあったものです。
アクオスもその部屋にあったものですが、一部屋またいで、玄関前にまで流れてきていました。
 この玄関のところ、和室側の壁で、津波の痕跡の高さを後日計測してみたところ、床上138センチとなっていました。

玄関から庭方向 2011.03.12 10:25

 玄関から庭方向、外を撮影した写真です。
 玄関前には主に根こそぎ流されてきた樹木や、木くず、材木類が溜まっていました。
 写真左側の壁にかけてあった花の絵の額縁の下部分まで水位があったことがわかります。
後日その高さを測ってみると、158センチでした。
 写真右側は下駄箱ですが、中の靴類は全て水浸しとなっていました。
きれいに洗えれば、使えるものもあったかもしれませんが、洗うすべもなく、全て捨てることとなりました。
 現場では長靴が必要でしたが、きれいな状態のものはなく、泥まみれの靴の中を、布でふき取り、使っていました。
写真奥、外でひっくり返っているソファーが写っていますが、我が家のものではなく、流れてきて、我が家の庭にたどり着いたものです。

階段下倉庫前 2011.03.12 10:25

  玄関から家に入ると直ぐにある階段下倉庫前です。
 写真からも濡れている、というか、海水が残っているのがわかると思います。
 足を踏み入れるとヘドロとともに足が沈み、深いところでは足首ほどまでとなりました。
 倉庫内には掃除道具などが入っていたのですが、この中もやはり濡れていました。
この状態で使えるような掃除道具はありませんでした。
その代わりに、青いカゴが写っていますが、このような軽くて、ある程度水が流れ落ちるカゴが大活躍しました。
ティッシュ等生活用品も全て捨てざるを得ませんでした。

床の間 2011.03.12 10:25

 和室が二部屋、続き間となってたのですが、そのうち、床の間のあった和室の状況です。
写真右隅が床の間で、紫檀の床柱が写っています。
 大工さんが丹精こめて造作してくれた床の間でしたが、無惨な状況となっていました。
 床柱の先で横倒しとなっているのは仏壇で、床の間と並んで仏壇は収まっていました。
普段、仏壇の扉は開けてあったのですが、津波来襲で倒れるとき、うまい具合に扉が閉まったようです。
後日、仏壇を起こして見たところ、中には位牌が流れずにありました。
その位牌は、東京に住む兄のもとに、母親とともに引き取られ、家の再建後、母も亡くなり、戻って来ています。
 手前に散乱しているさまざまなものは、もともとこの部屋にあったものではなく、写真奥の和室にあったものです。
奥の部屋の窓のガラスが津波で割れ、津波が進入し、その部屋の家財が広範囲に1階の全てのところに散らばったようです。

神棚 2011.03.12 10:26

 神棚は写真のように上にあったので、津波の被害を受けませんでしたし、地震の被害もありませんでした。
 神棚に並んで、平成20年に逝った父親の写真も何事もなかったかのよう飾られていました。
あたかも天国と地獄という光景です。
 地震直後に抱いていた、我が家は免震構造ではないものの、頑丈で、地震では被害がないであろうという思いは、神棚の状況を見ても、当たっていたということをわかっていただけるものと思います。
それにしても榊を立てている瓶が倒れていないのもすごいと思います。
自宅のある山元町は震度6強、体感的には気象庁の定義では最高震度7と同じです。
そのような強い揺れの地震被害は我が家では二つでした。
一つはダイニングにあった食器棚が、壁に固定していなかったため転倒したそうです。
二つ目は長男の部屋の液晶テレビが倒れて台から落ち、映らなくなったということでした。

奥の和室 2011.03.12 10:26

 普段母親が生活していた和室です。
写真には写っていませんが左側に掃きだし窓があり、その掃き出し窓が津波で壊されたようです。
そこから津波が流入してきて、この部屋にあったさまざまな物を他の部屋に流し去ったようです。
 障子の下に写っている灰色の四角いものは金庫です。
もともとは押入れの中にしまってあった物ですが、飛び出していました。
後日、やっとのおもいでヘドロの中から鍵を探しだし、中身を取り出すことができました。
大金は入っていなかったものの、少しでも現金が回収できたことはありがたいことです。
金庫は火事には耐えるようになっているのでしょうが、津波被害や水害から免れるような防水構造となっていないようです。
中はヘドロまで入り込んで、汚れていました。
 写真手前に写っている青いものは畳の裏側です。
我が家の畳は普通の畳と違って薄くなっていて、裏は青いものです。
いくら薄いといっても、このヘドロをかぶった状態で畳を動かすのは大変な労力を使いました。



続きは自宅近隣写真

















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